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テニスラケットの参考にテニプリを読んでいたら思いのほか時間を取られました^q^
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昨日歌った曲について、解釈を色々考えておったのです。
長くなりそうなので続きに突っ込みます。毎度毎度のことながら、大変ポエマーになる予定です笑
歌詞の内容をじっと眺めていると、曲も相まってなんだか不思議な気分になります。
原曲さまのコメントにあった「見えていない=盲目である」という解釈も捨てがたいのですが、
自分の持ったイメージはこんな感じです。
見えないけれど、というのは、
遠方である。距離が離れている。から見えない。ということと、人間の中身ってどうしたって全部見られるわけじゃないので、そのふたつの意味をかけているのでないかなと。
冷たい空気と暖かい空気と2層に分かれた空気中や、水中で光は屈折しますね。
「光」の構造は変わらないのですが、通り抜ける場所や、受け取る側によって、見えるものがちがう。
虹として全ての光彩が見えることもあれば、海や空のように、青だけが見えていたり。
だからたとえば、「僕」という透明な器があったとして。
「あなた」が赤(激しい情熱であるとか)を伝えたいと思って、音にして発する。
「赤」の波が、通り抜けていくとして、「僕」が受け取る色が、必ずしも「赤」であるとは限らないと。
「黄色(興味であるとか?)」かもしれないし、「オレンジ(トラウマであるとか?)」なのかもしれない。
もしかしたら、「白」かもしれないわけで。
ふたりが言葉を交わす間に、ほんとうに沢山の色が飛び交い、受け取ったり、贈ったりしているのだろうと。
「相手の色に染まる」という言葉もあるように、じきに「あなたの好きな色」に変わることもあるのでしょう。
好きな色に限らず、「あなた」がどんな人なのか。なにを思っているのか。
知りたいのはおそらく、「あなた」を「僕」が好きだから。
「あなた」からもらった好きな色を贈って「共有」出来たなら、きっと驚くし、嬉しいと思うのです。
であったときの印象というのは鮮烈なものです。
だから、おそらく「僕」が「あなた」に出会ったとき、「僕」は非常に強烈な色を見たのです。
色と色が重なり合って、新たな色が出来ていく。
「僕」と「あなた」は、互いの音を色にすることで、繋がっているのだと。
そんな感じがしました。
まあようは、遠距離恋愛のふたりが相互理解につとめていると。
1行でまとめるとこの歌の印象はこう↑なりました!