こっそりひっそり
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おれはもどってきたぞおおお!!!
というわけでもないんですが、
自分の中のポエミーで厨二全開な内容を書き記すにはツイッターは人の目が気になるし文字数足らねえし
同人活動用にサイトを作ってみたもののそっちの絵板も文字数が少なく
これからブログを更に増やすのはめんどくさい
あとはなんだろう、戻ってきてみようかな、とおもったので、
すげえ長く居たし、いったんは(言い方わるいけど)捨てた場所でもあるんだけども
試行錯誤して、ネット上とはいえ人にもまれて成長してきた場所でもあるんで、
捨てたっておもってたけどそうでもなかった、ちゃんとどっかには残ってたんだろな、と思いながらウダウダ書きます。
色々作品のネタバレが出ますしgdgdです。そしてあほかっちゅうほど長いです…ごめん…
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というわけでもないんですが、
自分の中のポエミーで厨二全開な内容を書き記すにはツイッターは人の目が気になるし文字数足らねえし
同人活動用にサイトを作ってみたもののそっちの絵板も文字数が少なく
これからブログを更に増やすのはめんどくさい
あとはなんだろう、戻ってきてみようかな、とおもったので、
すげえ長く居たし、いったんは(言い方わるいけど)捨てた場所でもあるんだけども
試行錯誤して、ネット上とはいえ人にもまれて成長してきた場所でもあるんで、
捨てたっておもってたけどそうでもなかった、ちゃんとどっかには残ってたんだろな、と思いながらウダウダ書きます。
色々作品のネタバレが出ますしgdgdです。そしてあほかっちゅうほど長いです…ごめん…
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BS組にて毎週欠かさず見ているのが進撃の巨人です。あと漫画きょう10巻まで一気読みした!!!
だいたい何か物語を見るとこの世界で自分はどこに立つかなあ、ってことを考えて(妄想して)楽しむわけですが
昨年仕事かわって半年、体脂肪率が減ってがっしりしてきたので(悲しいかな体重自体は変わりませんでした)、おそらく兵士としてはやっていけるとおもうんですが、
持久力が死ぬほどないのでそのへんは鍛えないといけないなとおもいました。現実的に。
ただ仕事中は持久力ねえなあーなんて感じないので、精神力を体力換算してんじゃねえのかとおもいます。
自己評価の話になっちゃうんだけども、このブログをやっているときにおもっていた、自分は器用貧乏って考えはちょっとやめました。どんなことに対しても、のみこみのセンスはすごくいいとおもう。それから、水面下で努力する能力もあるとおもいます。あとはなんだな、面倒ごとを引き受けて内心めんどくせーっていいつつもこなすところとか。
ここでちょっと話ずれるのですが、めんどくさくて誰もやりたがらないことほど先にやっとくほうがいいな、と思いました
資格取るために研修受けてて、たびたびリーダーを任せてもらって、年上のひといっぱいいるのになんでや! と憤慨してたりもしてました
でもそういうので、先に場数を踏んどくほうがいい。メンドクサイの後回しにしたらツケがくる。
最初はみんな出来ない。失敗するなら皆出来ないときのほうが傷がすくない。さらに皆が出来ないなか、自分の努力で出来るようになっているとしたら、それがいちばん誇らしいしいいな、とおもったわけでした。分からないところは助けにいけるし。
どうしても埋められない経験の差、っていうものはあるけど、それもカバーできるところは努力ですればいいし、どうしても無理なときは頼ればいい。目的が同じならば、やることは同じなはずなんで。
とかそういうことを考えていたけど進撃における立ち位置はドコカナー
好奇心と向上心が強いのでじーっと中にいるのはいやだろうから調査兵団かな(武器開発のあたりも捨てがたい)
生きる意志はめちゃくちゃ強いとおもうのですけど、「戦う」意思はどこまであるだろう
巨人と和解できる道を模索してしまいそうです。
進撃においては、生きるそのものよりも、戦うことのほうが上にあるような気がします
でも、弱者がいなければ強者は強くいられないわけで、
人間が食い尽くされてしまったあとの世界も、
巨人が駆逐されてしまったあとの世界も、
どっちもどうなのかなー と。
完全に駆逐されたあと、人間は栄華をほこるだろうけど、長期の安寧は人の心を緩ませるとおもうし。
人間いなくなったら巨人は共食いして共倒れになりそうな気もするし。
だから強者であれ弱者であれ、共存してく道はないものだろうかと、帰り道すがら考えていました。
さてここのところ「死」についてすごく考える機会が多く、「生きる」って何かと考えることも多く、
以前フォロワーさんに言っていただいてすごく嬉しく感じた「あなたは有機的に生きている」って言葉の意味も考えるしだいです。
進撃を読めるならこれもいけ、と弟にすすめてもらった「テラフォーマーズ」は虫やGやグロが苦手なひとはきっと読めませんが、
読める方はどうぞです。
進撃は生きる戦うために技術を発達させてますが、テラフォーマーズ(以下TF)は肉体を人為的に進化させて対応/駆逐しようって感じです。
虫や生き物の特殊能力を人間大のサイズで使ってますゆえにすごく強いはずなんですが、それをザクザク殺していくテラフォーマーズ(人間サイズの人間型に進化してしまったG)。キャラが能力出した次のコマで死んだりします。おそろしいです。
時折入る解説は昆虫図鑑を見てる気分で面白く、1巻主人公の小吉が能力を発現したときの『日本原産 大雀蜂』のキャプション(?)はすげー胸熱です。
キャラクターだとマルコス(アシダカグモ)ミッシェル(バクダンアリ/MOパラポネラ)アドルフ(デンキウナギ)あたりが好きです。全員2巻以降です。
クモは好かんけどもアシダカグモのマルコスはとてもいい子なんだよ…
twitter診断メーカーにてどんな動物をベースに手術するか、みたいなやつもありました。リオック(ソフトインセクト最強のでっかいバッタ。獰猛でダンボールを食い破る)でした。リオックベースのキャラクター、5巻のはじめで死にました。悲しみにつつまれた。
逃げる、助かることを考えているやつは生き残れない、戦って倒すことを考えなければ、(うろおぼえ)と、1巻主人公の小吉が言ってて、それがすごく印象に残ってます。
生きることを根本的に考えていない人は、生きられないのではないか、っていう
いやだから生きるってなんぞや? ってなってしまうけれどもね
とかなんとかいうところで、P3P(ペルソナ3ポータブル)が登場します
PSvitaを買ったものでそれでダウンロードしてたやつをやっとのこと始めました。もう3周め。
memento mori(死を忘れるな)がテーマなので、生きるものだれもが絶対的に逃げられない「死」に対して、どんな意識を持つのか、
じゃあ死ぬ、ってどういうことなのか、
作中チドリというキャラクターが言うには「もう会えないってこと」
大事な人に会えなくなるということが死ぬということ、だから、会えなくなるのはこわい、死ぬのはこわい、と感じるようになっていきました
自分が死ぬかもしれねえと考えた時に真っ先に思うのは、たぶんパソコンを全力でぶっ壊すことと同人誌全部燃やすことなんですが笑、
仕事に穴をあけてしまうんだなあ、ということとか、
やっときたかったことが出来ないんだなあ、とか、
ちゃんと謝っとけば良かったとか、
家族や大事な人ともっと話しとけばよかったとか、そんな感じなわけです
死ぬのはこわいか、っていうと、わからない、
↑にあげた内容を見る限り、「死」自体よりも、それに付随してくることのほうがきっとこわいのだろうなーとおもいます
性癖がばれるとかね!!!! 思い残しがあればこわくなるんだな
最後に
DDSAT1/2です。
デジタルデビルサーガ アバタール・チューナー
正直ゲームの難易度は高いのでプレイ動画など見ていただければとおもいます・・・曲めっちゃかっこよくてお話もいいので、
2のラストで号泣しました。
「生きるってなんだろうね」ってアルジラの言葉が後々まで響いてきます
戦って殺して喰らう、っていう本能だけだった主人公たちに、感情が湧いて、生きるために殺して喰う、ことを躊躇するようになっていきます
葉っぱはなんで出来ているの、って質問に対して「情報かな」っていう言葉も
人間て70%が水であとは色々混ざってこの形になっとるわけですが、形を作るための情報は遺伝子に組み込まれてて、掛け合わせることも出来て、(やっちゃいけないんですけども)操作することも出来まして、
遺伝子にまず基本スペックが刻まれててそれを基に成長しつつ、自分の努力次第で伸びることもある(もちろん天賦の才とかはあるだろうけどもね)わけなのですが
たとえば自分が、絵が好きで、歌が好きで、っていう「すきなもの」「気がついたらやっているもの」という情報はどっから来たんじゃい…という気持ちになり
遺伝子がもってる「基本情報」に、自分が生きているうちに経験したことの追加情報が書き加えられていくとしたら、どの段階でやっておるのか、という気持ちになって、
さらにそれが引き継がれていくって一体どうなってんの?
って気持ちになって爆発しました。
追加情報は基本記憶っていう媒体に入ってるとおもうんですが、樹木とか虫とかどこに情報書き込んでんの…
と悩みは尽きません。
「情報がなくなる」っていうことは「忘れられる」ってことで「死ぬ」ことでもあるのかもなあ、
肉体の死のあとに、忘れ去られて二度目の死を迎える、ってなんかで言ってなかったっけ
もっとちゃんと死に触れてみたい、とおもうのですが、火葬はこりごりだし、大事な人がいなくなるのもこりごりだなあ、とも思います
だからこういう風に、作品で触れていけるのはありがたいなーとおもう
今月出した同人誌でも、死にネタかいときました。
だいたい何か物語を見るとこの世界で自分はどこに立つかなあ、ってことを考えて(妄想して)楽しむわけですが
昨年仕事かわって半年、体脂肪率が減ってがっしりしてきたので(悲しいかな体重自体は変わりませんでした)、おそらく兵士としてはやっていけるとおもうんですが、
持久力が死ぬほどないのでそのへんは鍛えないといけないなとおもいました。現実的に。
ただ仕事中は持久力ねえなあーなんて感じないので、精神力を体力換算してんじゃねえのかとおもいます。
自己評価の話になっちゃうんだけども、このブログをやっているときにおもっていた、自分は器用貧乏って考えはちょっとやめました。どんなことに対しても、のみこみのセンスはすごくいいとおもう。それから、水面下で努力する能力もあるとおもいます。あとはなんだな、面倒ごとを引き受けて内心めんどくせーっていいつつもこなすところとか。
ここでちょっと話ずれるのですが、めんどくさくて誰もやりたがらないことほど先にやっとくほうがいいな、と思いました
資格取るために研修受けてて、たびたびリーダーを任せてもらって、年上のひといっぱいいるのになんでや! と憤慨してたりもしてました
でもそういうので、先に場数を踏んどくほうがいい。メンドクサイの後回しにしたらツケがくる。
最初はみんな出来ない。失敗するなら皆出来ないときのほうが傷がすくない。さらに皆が出来ないなか、自分の努力で出来るようになっているとしたら、それがいちばん誇らしいしいいな、とおもったわけでした。分からないところは助けにいけるし。
どうしても埋められない経験の差、っていうものはあるけど、それもカバーできるところは努力ですればいいし、どうしても無理なときは頼ればいい。目的が同じならば、やることは同じなはずなんで。
とかそういうことを考えていたけど進撃における立ち位置はドコカナー
好奇心と向上心が強いのでじーっと中にいるのはいやだろうから調査兵団かな(武器開発のあたりも捨てがたい)
生きる意志はめちゃくちゃ強いとおもうのですけど、「戦う」意思はどこまであるだろう
巨人と和解できる道を模索してしまいそうです。
進撃においては、生きるそのものよりも、戦うことのほうが上にあるような気がします
でも、弱者がいなければ強者は強くいられないわけで、
人間が食い尽くされてしまったあとの世界も、
巨人が駆逐されてしまったあとの世界も、
どっちもどうなのかなー と。
完全に駆逐されたあと、人間は栄華をほこるだろうけど、長期の安寧は人の心を緩ませるとおもうし。
人間いなくなったら巨人は共食いして共倒れになりそうな気もするし。
だから強者であれ弱者であれ、共存してく道はないものだろうかと、帰り道すがら考えていました。
さてここのところ「死」についてすごく考える機会が多く、「生きる」って何かと考えることも多く、
以前フォロワーさんに言っていただいてすごく嬉しく感じた「あなたは有機的に生きている」って言葉の意味も考えるしだいです。
進撃を読めるならこれもいけ、と弟にすすめてもらった「テラフォーマーズ」は虫やGやグロが苦手なひとはきっと読めませんが、
読める方はどうぞです。
進撃は生きる戦うために技術を発達させてますが、テラフォーマーズ(以下TF)は肉体を人為的に進化させて対応/駆逐しようって感じです。
虫や生き物の特殊能力を人間大のサイズで使ってますゆえにすごく強いはずなんですが、それをザクザク殺していくテラフォーマーズ(人間サイズの人間型に進化してしまったG)。キャラが能力出した次のコマで死んだりします。おそろしいです。
時折入る解説は昆虫図鑑を見てる気分で面白く、1巻主人公の小吉が能力を発現したときの『日本原産 大雀蜂』のキャプション(?)はすげー胸熱です。
キャラクターだとマルコス(アシダカグモ)ミッシェル(バクダンアリ/MOパラポネラ)アドルフ(デンキウナギ)あたりが好きです。全員2巻以降です。
クモは好かんけどもアシダカグモのマルコスはとてもいい子なんだよ…
twitter診断メーカーにてどんな動物をベースに手術するか、みたいなやつもありました。リオック(ソフトインセクト最強のでっかいバッタ。獰猛でダンボールを食い破る)でした。リオックベースのキャラクター、5巻のはじめで死にました。悲しみにつつまれた。
逃げる、助かることを考えているやつは生き残れない、戦って倒すことを考えなければ、(うろおぼえ)と、1巻主人公の小吉が言ってて、それがすごく印象に残ってます。
生きることを根本的に考えていない人は、生きられないのではないか、っていう
いやだから生きるってなんぞや? ってなってしまうけれどもね
とかなんとかいうところで、P3P(ペルソナ3ポータブル)が登場します
PSvitaを買ったものでそれでダウンロードしてたやつをやっとのこと始めました。もう3周め。
memento mori(死を忘れるな)がテーマなので、生きるものだれもが絶対的に逃げられない「死」に対して、どんな意識を持つのか、
じゃあ死ぬ、ってどういうことなのか、
作中チドリというキャラクターが言うには「もう会えないってこと」
大事な人に会えなくなるということが死ぬということ、だから、会えなくなるのはこわい、死ぬのはこわい、と感じるようになっていきました
自分が死ぬかもしれねえと考えた時に真っ先に思うのは、たぶんパソコンを全力でぶっ壊すことと同人誌全部燃やすことなんですが笑、
仕事に穴をあけてしまうんだなあ、ということとか、
やっときたかったことが出来ないんだなあ、とか、
ちゃんと謝っとけば良かったとか、
家族や大事な人ともっと話しとけばよかったとか、そんな感じなわけです
死ぬのはこわいか、っていうと、わからない、
↑にあげた内容を見る限り、「死」自体よりも、それに付随してくることのほうがきっとこわいのだろうなーとおもいます
性癖がばれるとかね!!!! 思い残しがあればこわくなるんだな
最後に
DDSAT1/2です。
デジタルデビルサーガ アバタール・チューナー
正直ゲームの難易度は高いのでプレイ動画など見ていただければとおもいます・・・曲めっちゃかっこよくてお話もいいので、
2のラストで号泣しました。
「生きるってなんだろうね」ってアルジラの言葉が後々まで響いてきます
戦って殺して喰らう、っていう本能だけだった主人公たちに、感情が湧いて、生きるために殺して喰う、ことを躊躇するようになっていきます
葉っぱはなんで出来ているの、って質問に対して「情報かな」っていう言葉も
人間て70%が水であとは色々混ざってこの形になっとるわけですが、形を作るための情報は遺伝子に組み込まれてて、掛け合わせることも出来て、(やっちゃいけないんですけども)操作することも出来まして、
遺伝子にまず基本スペックが刻まれててそれを基に成長しつつ、自分の努力次第で伸びることもある(もちろん天賦の才とかはあるだろうけどもね)わけなのですが
たとえば自分が、絵が好きで、歌が好きで、っていう「すきなもの」「気がついたらやっているもの」という情報はどっから来たんじゃい…という気持ちになり
遺伝子がもってる「基本情報」に、自分が生きているうちに経験したことの追加情報が書き加えられていくとしたら、どの段階でやっておるのか、という気持ちになって、
さらにそれが引き継がれていくって一体どうなってんの?
って気持ちになって爆発しました。
追加情報は基本記憶っていう媒体に入ってるとおもうんですが、樹木とか虫とかどこに情報書き込んでんの…
と悩みは尽きません。
「情報がなくなる」っていうことは「忘れられる」ってことで「死ぬ」ことでもあるのかもなあ、
肉体の死のあとに、忘れ去られて二度目の死を迎える、ってなんかで言ってなかったっけ
もっとちゃんと死に触れてみたい、とおもうのですが、火葬はこりごりだし、大事な人がいなくなるのもこりごりだなあ、とも思います
だからこういう風に、作品で触れていけるのはありがたいなーとおもう
今月出した同人誌でも、死にネタかいときました。
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