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このタイトル多いなorz


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対照的な色彩にしようと思ったらどちらもなんだかどや顔っぽくなりました。
左はペインターの油彩メインで、右はフォトショップのみです。

なんだか青臭い話になりそうなので続きで。


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歌詞では結構あった(というか元歌詞の引用だったりした)のですけど、自分の作品として「愛してる」という言葉を使ったのは初めてだと思います。

これは単に照れ屋だからというわけじゃなく、「言葉の意味を真に理解できていない」のに「使う」ことを、自分のなかで許せなかったからでした。

今まで付き合ってきた方からせがまれて言ったことはあるけれども、それはとても不本意で自己嫌悪しました。
この言葉を理解できるときは一生来ないのでないかなあと思っていたら、先日なにか降ってわいたように理解した。というか、理解できる気がしたのでこの物語を書きました。

文章を書くことがものすごく苦手です。感想文も反省文も(笑)読書も、高校卒業してからは本の虫というほど読むわけでもないのに活字中毒? なところがあって、とりあえず読めればなんでもいいです。新聞でも食べてるラーメンの説明書きでも携帯で見るyahoo知恵袋でもいいです。ので、読書からくる語彙はあんまりないと思います。表現の幅も広くはないんじゃないかな。総合して、文章というものには全般的に自信がないです。

それでも小説って媒体を選んだのは、描きたいものを的確に表現できる気がしたからかな。
今回は段々と体の機能が失われていく様子を書いています。これについては、看護師をしている親族に話を聞かせて貰ったり、実際に自分で音を閉ざし目を閉じて部屋を歩いてみました。その状態で自分がどう思うか、どう感じるか、どう行動するかを出来る限り知りたかったので。
今までの作品で自分は大抵鬼男君のスタンスに居ましたが、今回はどちらの中にも入らせてもらいました。
常々思うけど中身出しすぎですごめんなさい。



メメント・モリというタイトルは「死を思え」という意味なのですが、うp主が「死」について考えるとき、真っ先に思い出すのはあるお客さんです。この仕事場に入ったときからずっと知っており、友人までは行かなくても、会ったら親しく話すような人でした。3年程前に自ら首を吊って亡くなられました。
遺書もきちんとありました。理由はよくあるといえば良くあること、でも、彼の同僚の誰ひとりとして悩んでいることを聞いていなくて、亡くなられる前夜も普通に買い物に来て「お疲れ様でした」と声を掛けました。
本当に何も言わずにいなくなるのだと思いました。居ないことが当たり前、の日常に皆が戻っていくことも知りました。

もうひとりは親族の女性です。随分昔にラジオで話したように思います。
子供の頃うちにはゲーム機というものがなくて、その叔母さんのうちに行くのが兄弟全員で楽しみでした。大人になるにつれ交流は減りましたが、家を行き来したりは時折ありました。
叔母さんのお葬式で、初めて「火葬」を経験しました。よく考えたら子供の頃に2度あったきりで、大人になってからの葬式は初めてでした。
棺のなかで化粧を施された叔母さんは寝ているだけに見えました。ものすごく柔らかくて綺麗な顔でした。
煙になってしまったあと、骨を拾うのは本当に辛かった。こうやってこの世から形をなくすんだと思った。

集まった親族のなかに「視える」人が居て、「ここ(火葬場)に叔母さんはきていないよ。家で○○ちゃん(飼い犬のこと)をずっと見てる」って言ってたのが特別印象に残っています。

人に死を望まれること、もあんまり経験したくはないかなあ。くらーいので反転で。
暗いことではありますが、これで思い出し泣きは全くないです。へいちゃらへのかっぱです`・v・´-зんふう!

橋の上から眼下の岩肌を眺めて、落っこちればラクになるかなあと思ったけど、怖くて飛び降りられなかったこととか。
「私が殺したと思われたくないから、自分で死んでよ」とか。

「あんたは死刑」とか。

自分は言うほど人の死にかかわっていない気がするなあ。出来たらもう経験したくないですし。
でも「死」を知ることで、「生」が生きてくるようにも思います。


小説も含め、自分が書いている文は決して上手ではないと思います。
それでも何か伝わるとしたら、全部が「(自分の中で)ほんとうのこと」だからかなとちょっと恥ずかしいことを考えました。
積み重ねてきた揺るがない裏付けです。理解と納得をしたうえで、この言葉を使えたことがとても嬉しい。


勿論これは自分ひとりで得てきたものではなく、動画を通じて少しでもかかわってきた人たち(ROMの方も含めて)がいてこそだろうなとも思います。
最初はやりたかったからやった。今は「どうすれば伝わるのか」「良い影響になるか」。
当初ほどの勢いはないかもしれませんが、気が向いたときにでもお付き合いいただければありがたいです。


あ、ちなみに、この小説でもらって嬉しい言葉は「表現する言葉が見つからない」です(笑)
無理に言葉にしないで大丈夫なので、受け取ったものをその後どうするか、考えてみてくれると嬉しいかなぁ。

---


この曲がとても小説に合う(というか鬼/閻? 天国組に)と思うので、聞きながら読んでいただけたら。
1番が閻/魔から鬼/男へ、2番が鬼/男から閻/魔へのイメージなんです。ちくしょう泣く。

白い手紙には 書き残した言葉がある
やがてこの星が 朽ち行くさだめ背負うまで
君の中で恋をしたい

何か許されるのなら
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こんばんは
小説のタイトルが何気に気になっていたのでスッキリしました。
死を思え。でも残念ながら僕はこの小説に死をイメージできませんでした。
死よりももっと、温かいお話に感じました。

僕はたぶん小説よりも歌の方が漣さんの場合、読み取れる気がします。
なんとなく。ですけどやっぱりそっちのが漣さんらしいですから。

本気で飛ぶ気がなかったからかも知れません。でも多少はその意思があったはずなのに、僕は怖くなかったですよ。

私が殺したと思われたくないから。って言うのは僕には随分自意識過剰に思われますね。
誰がお前のせいで死ぬって?ふざけんな。
って感じですね。
まぁその人が刃物突きつけて言ったりしたら理解できるんですけどね。
所詮死ぬのを選ぶのは自分なんですから。そんな人のせいなんて訳ないんですけどね。
まぁ僕の勝手な考えですけど。

漣さんの文。僕は好きですよ。
これからも見ていきたいと思っています。

では、失礼します。
翡翠 URL 2010/03/06(Sat)21:36:50 編集
またまた…
またまた、失礼致します。1日で2回コメントしました^q^「何回見てんだ」って、話ですね…すいません。

反転された文を見て、私は泣きそうになりました…(^^;
本当のことだからこそ、感動できたのかな?と私も漣さんの言葉を見て思いました。一つ一つの言葉が、丁寧だなと感じたからです。
あと、『生』と『死』正反対の意味を持っているのに、隣り合わせの単語だと思いました。

…明日、ブログに『生』と『死』についてなど書こうと思います。もう一度、本気で考えてみたいんです。もし、よろしければ見ていただけるとありがたいです。お忙しかったら、またの機会でも^^←

では、失礼致します。2回もコメントしてすいませんでした。
URL 2010/03/06(Sat)21:53:32 編集
翡翠さん
作中に直接「死」と言う言葉は使わなかったですからね。ただ「肉体の死」であるとか、「存在の死」であるとか、そういうものを示唆する言葉は結構入れてるんじゃないかな。

この物語のなかでの死は、世の中の概念にある「死」とはまた違うように思います。
「愛してる」と同様、言葉にすると非常に安っぽく、また自分の考えとは違った形で伝わってしまいそうで、うまく伝えることが出来なくてすいません。

反転してある文について。見て落ち込む人もいるかもなと思って反転なので(一部携帯からだと反転されないそうですがorz)、コメントでもあんまり触れないでやってくれると嬉しいです。
ここだけ聞くとなんじゃそら、って思うような言葉達ですが、言った方にも事情があって、言われたほう(うp主ですね)にも原因はあるんでしょう。
言われるだけのことをしたんだろう、心当たりはないけど。今はそんな感じです。怒ってもないし落ち込んでもないことなので、あんまり噛み付かないでやってくださいね。

コメントありがとうございました。
REN 2010/03/14(Sun)13:09:30 編集
命さん
まず反転文について、悲しい気持ちにさせてしまったならすみません。
何度も書いてますが、本当に今はなんとも思ってないんですよ。精神的にはどっちかつと弱いほうだと思いますが、変なところで図太いので大丈夫なんです*´w`

正しいこと、ではないのでしょうが、本当だと思って信じていること、ではあると思います。
占いの話になりますけど、タロットカードは人間の一生をあらわしているそうで、「死神」のカードは中間地点あたりにあります。アルカナは22枚。「死」が最期ならばラストのカードになるはずですがそうじゃない。
カードの意味も、逆位置なら「再生」「再出発」。これを考えると、生きている間に誰しも「一度目の死」を経験するのではないかなと思います。
それは精神面での(未熟な面の)死(=成熟)であるとか、子供から大人へ進んでいくことを示すのかもしれません。

裏と表で繋がっているようなものなんでしょうね。生死どちらにも触れられなければ、命を自覚することもないんだと思います。

命さんが書かれていた記事、読ませていただきました。遅くなりましたが、更新お疲れ様でした!

死について考えるのでしたら↓
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/memento.html
かなり長いですが、興味がありましたら読んで見ると面白いかもしれません。

お返事が長くなってしまってすみません。
コメントありがとうございました!
REN 2010/03/14(Sun)13:39:42 編集
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