こっそりひっそり
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
強い思いほど心に秘めるもの。いつか爆発させるもの。
と思ってるんだけど、逆に言葉にしたほうが、引き寄せられるものもあるんです。
この言葉を聞いたことのある方、結構いらっしゃるんじゃないかと思うのですが、念のため簡単に説明させてくださいね。
---
ある船が沈没し、船員や乗客が海上に投げ出されました。
波間でもみくちゃになりながら、ある男性は運良く板切れにつかまることができました。
同じ様に波間を漂っていた男性も、その板を掴もうとしました。けれど、板は小さく、二人がつかまればどちらも沈んでしまうのです。
悩んだ男性は、自分の命を助けるために、その男性を突き飛ばしました。
ひとりはそのまま波に沈んでいきました。
男性は救助の船に拾われ、助かることが出来ました。
この件について、本国に帰った男性は裁判にかけられましたが、罪に問われることはありませんでした。
---
緊急避難というやつなのですが、自分が助かるために他人を犠牲にしてもかまわない、というお話です。
(刑法37条)
ここからはうp主の勝手なお話なので、お付き合いくださる方はそのまま読み進めてくださいませ。
自分を犠牲にする人、というのは、どんな気持ちで犠牲になることをいとわないのだろうと考えていました。
誰かの犠牲になる(覚悟を持つ)ことで、自分の存在意義をはっきりさせたいのかな、と。
カルネアデスの板は人を犠牲にした側のお話ですけども、これで助かった人が罪の意識を感じずにその後生きられるかっていうと、多分無理だろうなと思います。法で裁かれないとなると余計にね。
うp主は「誰か一人が犠牲になればみんな助かる」っていうのはどうにも好かんので、それだったら「ちょっとずつ出しあってみんな生き延びる可能性」を考えたいなあと思ったわけで。
それぞれが出し合えるところを出していけばいいんじゃないでしょうか。
具体的になんだよって言われるとすごく困るんですけど、自身が無理なく出来ることってなにがあるのかをまず知ることかな?
それは案外、文字を書くだとか、絵を描くだとか、人と話すことだとか。感情を素直に出すこととか。ただそこにいることだとか。
簡単で当たり前すぎて、笑ってしまうくらいのことかも知れないですよね*´w`
そこにあなたがいることで、誰かと分け合えているものがあるんです。
かたちには見えなくても、ちゃんと意味がありますよ。
誰かのために全部投げ出せるってその気持ちじたいは悪いものじゃなくて、むしろ素敵なことだと思う。
まあどうせやるなら出来るだけ前向きな自己犠牲がいいんじゃないか。というお話でした。
うp主が出来る自己犠牲は、個人のためにひたすら考えること、時間を作ること。伝えること。かな。
うまく伝わるかは不安ですが、なにか考えるきっかけにはなりますように。
---
七夕関連で書きたい小説がふたつあった…のだけど…なあorz
カルネアデス関連で、トロッコ問題や臓器くじの問題も興味ぶかいです。
誰も犠牲にしたくないよね。自分はいいんだけどね。とか言うと偽善者! と怒られるでしょうか(笑)
絶対にわたしが犠牲にならないといけないんだ、って思うことが悲しいように思います。
うp主も必ずしも犠牲になりたいわけじゃないんです。自分は結構キャパシティ広いから、ひとより犠牲少なめでいけそうな気がする、とかそんな考え。
でかいダメージはあっても死にはしねえだろ(HP1で回復魔法待ちかな?)、っていう変な自信。変な自信って、変だけどあったほうがいい気がします。気がするだけです(笑)
おやすみなさいノシ
PR
◎ この記事にコメントする